タイの社交ダンス(ボールルームダンシング)

タイの社交ダンス(ボールルームダンシング)

元田時男

 

 以下は1991年ごろの様子です

 今日本は大変なダンスブームです。全国津々浦々で生涯学習として楽しまれ、ダンス人口5百万とも言われています。ダンス専門の雑誌も2誌あります。ダンスはもはや生涯のスポーツとしてとらえられており、スポーツダンスという言葉も生まれています。大きな競技会が武道館で絶えず開催され、何時もフアンであふれます。

 東南アジアではどうでしょうか。例をタイに取ってみます。タイにも社交ダンスはあります。バンコクには10数軒のダンス教室があります。その中でよく本場の英国へ研修に行っている先生は二人です。 

 バンコクで東南アジア地区のダンス競技会もよくあります。シンガポールがよく優勝していました。審査員はヨーロッパから来る本格的なものです。タイも健闘していました。

 タイでも年末近くになりますと職場の忘年会があります。大抵ビルの中庭、屋上にテーブルを広げ一緒に食事をします。その時仮設の舞台でバンド演奏、カラオケならぬナマオケ、その他の余興が繰り広げられます。ダンス大会が行われる時もあります。それに備えて12月になるとダンス教室が賑わいます。

 ダンス教室の生徒は日本と同様年配者が多いようです。私が通っていた教室では75歳のおじいさんが熱心に練習していました。日本ほどダンス人口は多くないのですが、矢張り生涯学習の感じがします。

 教室である程度ステップが踏めるようになると、今度はダンスホールでの本番となります。ダンスホールはメナム川の対岸に多く点在しています。夜9時頃教室での練習を終え、練習仲間に先生を入れてダンスホールへ繰り出します。9時まで中華料理店、その後テーブルを片づけてダンスホールに変身する所が多いのです。

 タイでのダンスホールの一般的な流れを見てみます。勿論音楽は生のバンドで本格的です。先ず、必ずと言っていいほどウインナワルツで始ります。2ー3曲踊った後、ワルツ、タンゴ、スロー、クイックといずれも2ー3曲ずつです。モダンダンスが終わると次は軽快なラテンダンスへと移ります。

 キューバンルンバ、チャチャチャ、ジャイブなどです。ラテンは動きが早いので汗をかきます。そこで又ゆっくりとしたモダンダンスへ戻ります。これを2ー3回繰り返しますと、もう夜の12時近くになります。そこでタイ独特のダンス、コラチャが始ります。コラチャはチャチャチャと似て早いリズムです。4拍目にアクセントがあり、4拍目に右、左の足を時には前へ、時には後ろへ軽く蹴り上げます。

 この頃になると舞台のバンドの前にホール専属の女性がずらりと並んで、タイの楽器でシンバルと似た鈴のような楽器を手にして調子を取り、盛り上げてくれます。ホールはもう満員で皆コラチャのリズムに酔ったようになります。

 最高に盛り上がった所で今度はタイの盆踊りラムヲンの出番です。今までの早いリズムがゆっくりとしたリズムに代わり、二人のペアーはそれぞればらばらに散らばり、自然とホールの真ん中を中心に人の輪ができます。この輪は女性、男性が交互に並んでいます。

 ゆったりとした、リズムに合わせて女性は手で小さな輪を作り、優雅に両腕を体の前で揺らして、調子に合わせて輪になって進みます。男性は女性の後から両手を大きく広げ、前の女性を包み込むようにして、女性の後からついていきます。

 このラムヲンは祭りの時、結婚式の祝いの宴などで必ず踊るもので日本の盆踊りに似ています。後ろの男性は前を進む女性の前に出て振り返って女性と顔を合わせます。男性が前の女性を口説いている形です。

 ラムヲンが優雅に数曲進んだところで、場面はがらりと変わり、強烈なビートのきいたデイスコとなります。もう夜中の2時です。いつ果てるとも知れないデイスコを後にして私たち夫婦はホールを後にしていました。

 日本のダンス教室の生徒さん一行が観光を兼ねて来ることもありました。こうなると私の出番で、来タイ前の打ち合わせ、タイのダンス教室との打ち合わせで合同ダンスパーテイーを開催することになります。ホールではタイ側と日本側のペアーの組み合わせ、通訳と私は汗だくでした。ダンスのステップは英国に発し、バンコク共通ですから、日タイ親善の意味もあり、タイでの楽しい思い出の一つとなっています。

(おわり)